歴史のまち、草津
(スケッチ)
神社・仏閣めぐり

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@鷺森神社(さぎもりじんじゃ)
当社は天徳年間(西暦960年)
に勧請されたと伝られており
社神は市杵島姫命と
金毘羅神である。
この一帯は海浜であり、漁船の船着場
として栄え、御祭神が女神なる
ゆえに、弁天さんと
呼称し豊漁と海の安全を祈る
神様として崇敬されていた。
境内はこんもりした森の中にあったが
鉄道工事のため樹木が伐採
された。また江戸時代の終わり頃
から境内で芝居が行なわれ神社の
建て方も工夫されている。

 

A普門山、慈光寺
(ふもんざん、じこうじ)
文安4年(西暦1447年)菟山に
禅宗慈光寺は海蔵寺末寺として
創建された。
正保
4
年(西暦1703年)
改宗して日蓮宗となった。

開基は日亭上人の弟子
日周上人といわれている。
児玉周防守の墓は慈光寺の
境内にあった。
往年の菟山に在りし当時の
慈光寺が想像されよう。

 

B幸神社(こうじんじゃ)

道教(中国の民間宗教)から
流生し、わが国の神道、
仏教を習合した民族信仰で
「さんし説」に基づく庚申
信仰であり、江戸期に一般庶民
に定着し、
400年の歴史がある。

境内の「銀杏の木」が、そのまま
歴史を伝えているが、
ご祭神が猿田彦之神で庚申さん
から現在の「幸神社」に
改名した。

 

C久遠山、海蔵寺
(くおんざん、かいぞうじ)

応永年間(西暦1394〜1427年)中国の
僧慈眼が創建したといわれている。
曹洞宗になったのは永正元年
(西暦1504年)になってからだといわれている。
毛利時代は草津城主児玉就方の菩提寺となり
厳島合戦の時は毛利の陣所に、
天正16年(西暦1588年)
毛利輝元上京の折当寺で宿泊する。

又、幕末の長州征伐の談判を当寺で行なう。
墓所には東城浅野家累代の墓(五輪塔)や
北条氏直の墓や尼子方の武将、
山中鹿之助の二女、盛江の墓がある。
元禄二年(西暦1689年)に造られた
石組(いわくみ)の庭がある。
毎年
8月10日の「観音様縁日」法要の時、
大数珠を繰る行事がある。

 

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